ヤングケアラーだった私
当時、17歳の私の1日は、まず両親に朝の挨拶をすることから始まりました。
爽やかな朝の習慣。などではなく、その日の両親の体調の確認をしていたのです。
母は脳の難病で、完全に寝たきり、父はアルコール依存で常に飲酒をしているような生活を送っていました。
朝に「おはよう。」と挨拶をして、母の体調に異常はないか、父はどれくらい飲んで眠ったのかを把握しておくことで、その日を無事に過ごせるかの目安にしていました。
私は、夜間高校に通っていたので、昼間は仕事をして、夕方帰ってきたら、家族の夕飯を作って、自分は学校へ行くというのが、当時のサイクルでした。
母の体調は思わしくなく、高校を卒業する頃には、お腹に胃ろうをあけ、栄養は直接そこから与えることになっていました。そうなると、介護の負担は増え、私はいつの間にか「ヤングケアラー」となっていました。
家にいる時間は、母に薬や食事をあげたり、父の食事の世話をしたりする日々。
父がアルコール性肝炎を併発した、静脈瘤破裂で倒れたあとは、父の看護も加わりました。
母が熱を出せば、救急車を呼び、深夜だろうが昼間だろうが病院で待機することも少なくありませんでした。
それと同時に父は、アルコールが原因の「肝性脳症」にかかってしまい、脳症の症状がでると暴れるようになったのです。
暴れるのを押さえつけて病院へ連れていく日々がずいぶんと続きました。
ヤングケアラーとは
ヤングケアラーとは、家族にケアを要する人がいる場合に、大人が担うようなケア責任を引き受け、家事や家族の世話、介護、感情面のサポートなどを行っている、18歳未満の子どもを指す。ケアが必要な人は、主に、障がいや病気のある親や高齢の祖父母、きょうだい、他の親族である。
引用:ヤングケアラー – Wikipedia
追記:18歳未満の子どもをヤングケアラーと呼ぶと、記述がありますが、政府が正式に定義している訳ではなく、年齢の定義はまちまちです。10代〜30代までの若者をヤングケアラーと定義する諸外国もあります。
ヤングケアラーの割り合い
厚生労働省と文部科学省は、初めての実態調査を行いました。
公立の中学校1000校と、全日制の高校350校を抽出して2年生にインターネットでアンケートを行い、合わせておよそ1万3000人から回答を得ています。
国のプロジェクトチームの会合で調査結果が公表され、「世話をしている家族がいる」という生徒の割合は、中学生が5.7%でおよそ17人に1人、全日制の高校の生徒が4.1%でおよそ24人に1人いる結果でした。
その中でも、世話にかけている時間は、平日1日の平均で、中学生が4時間、高校生は3.8時間で、1日に7時間以上を世話に費やしている生徒が、1割を超えていたということです。
世話の内容は、食事の準備や洗濯などの家事が多く、ほかにも、きょうだいを保育園に送迎したり、祖父母の介護や見守りをしたりと多岐にわたっています。
参考:「ヤングケアラー」中学生の約17人に1人 国 初の実態調査 | 教育 | NHKニュース
私にも下に妹弟がいましたが、私は昼間は働き、夜には学校へ。
その間に、家のことをするという生活で、弟たちは昼間は普通に学校に通っていました。
それぞれの生活の時間帯が時間が違っていたので、なかなか下のきょうだいの世話まではできませんでした。
学校を卒業し、成人したあとは、両親の病状も重くなっていき、頻繁に入退院を繰り返すようになります。
ヤングケアラーを題材にした短編映画「陽菜の世界」
あらすじ
高校2年生の陽菜。彼女には、知的障がいの兄がいます。
けれどそのことは親友の美咲にも話していません。
学校で進路調査票が配られ、夢いっぱいに進路を迷う美咲とは対照的に、
家庭の事情を考えて「近い大学」と進路を書き込む陽菜ですが、
担任からは「家族ともっと話し合って後悔のない選択をしろよ」と一言…
進路調査票を提出するまでの数日間、
ヤングケアラーである陽菜の葛藤が描かれた短編映画です。
伝えたいこと
振り返ってみると、10代〜20代の思い出は、仕事と介護のことばかりです。
友人と遊んだりした記憶も少なく、大人がするべき役割を子どもなりに一生懸命にやっていました。
そして、子どもらしいことをしてもらった記憶はほとんどありません。
当時の私は、その状況が当たり前で、他に助けを求めるという考えもありませんでした。
周囲からは、「家族なんだから。」という無理解な言葉をかけられることも多々ありました。
私のように、「家族の問題」と、周囲から理解してもらえず孤立してしまったり、子どもであるがゆえに自身が「ケアラー」であることに気づかずにいたり、思春期の羞恥心から、外部に助けを求めることができないヤングケアラーがいると思います。
私が伝えたいことは、「大変だったら逃げてもいい。」ということです。
私は、介護の必要な親を見放すことができず、自分自身を犠牲にしてきました。
当時は、犠牲になっているという意識すらなかったのですが、今考えれば「全てを背負っていた」と言えます。
しかし、何も犠牲にすることはないのです。
子どもが子どもでいられる時間は限られています。
大人になった時、介護や家族から解放されたとき、後悔だけはしてほしくない。
私はそれを強く願います。