Salad体験談

【体験談】私はマイノリティ~LGBT当事者として~

2022/03/19

はじめに

数年前からLGBTという言葉をよくメディアなどで、目にするようになりました。

そして、最近ではLGBTへの理解が進み、『セクシャルマイノリティ』が当たり前のように日常生活の中にあるように感じています。

同性婚や、同性のパートナーシップ制度など法整備も進み、これからもっとLGBT当事者にとって生きやすい社会になることでしょう。

そんなことを考えるようになったのは、私自身が「セクシャルマイノリティ」当事者になるからです。

私は、LGBTの中のパンセクシャル(全性愛者)になります

パンセクシュアルとは、「好きになるにあたってセクシュアリティを条件としない」というセクシュアリティを指します。言い換えると「好きになることに相手の性のあり方なんて関係ない」というセクシュアリティです。オムニセクシャルや全性愛と呼ぶこともあります。

セクシュアリティに関係なく人を好きになる。そのため、視点を変えると「すべてのセクシュアリティを好きになる」と考えることもできます。

引用:パンセクシュアルとは?【当事者監修!徹底解説】 | LGBT就活・転職活動サイト「JobRainbow」

何気ない一言

私には、子どもの頃から仲良くしている幼馴染たちがいます。

今では、コロナ禍ですっかりなくなってしまいましたが、コロナ禍以前は度々、友人たちと食事をすることがよくありました。

友人たちとは、何時間もなんでもないことを語り合います。

お互いの近況のことはもちろん、お互いの家族や、仕事の愚痴、共通の知り合いの近況や、最近ハマっているドラマの話まで。

話題の中には、当たり前のように『恋愛』の話題もでます。私は、マイノリティであることを友人たちには、隠してはいませんでした。

友人たちには、『偏見』はない。と思い、隠す必要がなかったので、過去の異性や、もちろん同性との付き合いも隠さずに話をしてましたので、恋愛遍歴も知っています。

しかし、ある時でした。

私が「いま好きな異性がいる。」と何気なく話したときに

「よかった。異性と付き合おうよ。男性と結婚して、子ども作ろう。」

と言われました。

「?うん??」

とその言葉に引っ掛かった私は、苦笑してよく分からない返事をしてしまいました。

何を重要視するのかは自由

私はパンセクシャルなので、性別のない人、同性、異性ともお付き合いをしました。

友人たちには、会うタイミングで当時お付き合いしていた人のことを、話したりしていました。

いま、考えると過去にも、「今こんな人と付き合っているんだ。」「今こんな人が好きなんだ。」

と、私としては、楽しい恋バナをしているつもりでいたのですが、友人たちには

「今度はどっち?(男性か女性か)」

と性別を必ず聞かれていたのです。

何回かそんな話のやりとりをしていくうちに、

「男女、どっちも好きになるなら異性の方がいい。」

という友人たちの無意識な本音が私には見えてしまいました。

わたしにとっては普通のこと

私にとっては、普通に生活し、普通に恋愛をしてきました。

たまたま、そこに相手の性別やセクシャリティは関係なかったのです。

最近は、ニュースやSNSなどで、LGBTへの理解は進んだと思いますが、地方で片田舎の小さなコミニュティだとやはり、まだまだ理解してもらえないこともあるのです。

わたしには重要ではないこと

世の中では、パンセクシャルと聞くと、「なにそれ?」という意見が多いと思います。

「男性、女性、性別やセクシャリティ(性的指向)に関係なく人を好きになる。」と説明すると、ごく稀に、「どっちでもいいのか。」「性別関係なく、恋愛に自由奔放で、節操がない。」という意見を聞いたりします。

私は、“どっちでも好きになる”という意識ではなく、好きになる人の“性別”や❝セクシャリティ(性的指向)❞は重要視していないのです。

それは、友人たちのような異性愛者にもあることではないでしょうか?

好きになる人の年齢を気にしない人もいれば、身長が気になる人もいます。

ほかにも出身地や、趣味、体型などなど…気にする人もいれば、気にしない人もいます。

私にとって恋愛する上で、たまたま好きになった人が異性だった。同性だった。性別がなかった。

ただそれだけのことなのです。

友人たちとの付き合いを重ねて、妙齢になっていくとまわりは結婚、出産をしていく仲間たちも増えてきています。

友人の中には、結婚を意識したお付き合いを考えている人がいる。なんてことも聞きます。

それが友人たちの「普通」なのです。

気にすることではない

友人たちの何気ない一言でしたが、私はそれ以来、あまり恋愛観についての話をしなくなりました。

悪気のない言葉ですし、私も落ち込むほどのことでもないと思っています。

しかし、友人たちには少し「普通」のことではないのでしょう。

友人たちとの付き合いはまだ続いています。

私が考えている恋愛観や、結婚観をのぞけば、友人関係は良好ですし、なにより私自身には当たり前のことでも、聞く相手によっては不快に感じたりすることだったのかもしれません。そして、私自身もむやみに傷つきたくないのです。

擦り傷は誰にでもある

私は今まで、マイノリティであることについて、大きく傷ついたり、悩んだりすることなくすごしてきました。

しかし、自分が気づいていないだけで、ちょっとした「擦り傷」ぐらいの傷がついているんだと思いました。

最近では、ジェンダー差別をなくそう。セクシャルマイノリティも平等に。と話題になることが多くなってきたと感じます。

差別のない世の中が、1番だと思いますが、差別とは違う「名前のつかない擦り傷」がなくなることはないのだろうと考えます。

しかし、この傷はマイノリティでない人にもきっとついていて、それこそマイノリティは関係なく平等にあるんだと思います。

その傷跡を理解し合える、そんな関係性ができればいいなと祈ります。

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