家族で戦った病気
「お母さんの呼吸が浅い。止まりそうだ。」
夜中に父に、急に起こされた。
母の呼吸が止まりそうなぐらい、浅くなっているようだった。
家族全員で、母の周りを囲んで呼びかける。
「お母さん!息、息して!」
母の意識はなく、妹が泣いていた。握りしめた手は温かく、いまにも死にそうな気はしない。私はまるで、(ドラマのワンシーンだな)なんて思ったりした。
救急車が来るまでどれくらいかかっただろう。ずっと、手を握り、母は死ぬのだろうか?私はちゃんと悲しいのだろうか?なんて考えていた。
その日は救急車で行きつけの病院に運ばれ、そのままICUに入った母。
なんとか、呼吸は元に戻り、数日後に退院するのだが、こうやって病気は確実に進行していき、母から表情がなくなり、高熱を出しては入院を繰り返していった。
順番に胃ろうが開き、喉に呼吸器が付けられ、母は完全に寝たきりで、意思疎通もできなくなっていきました。
母は、「多発性硬化症」という難病を患っていた。
多発性硬化症とは?
多発性硬化症(MS)は、脳や脊髄、視神経のあちらこちらに病巣ができ、様々な症状が現れるようになる病気です。MSになると多くの場合、症状が出る「再発」と、症状が治まる「寛解」を繰り返します。
なお、多発性硬化症は英語で“Multiple(空間的・時間的に多発する)Sclerosis(硬化)”といい、その頭文字をとって“MS(エムエス)”と呼ばれています。
引用:多発性硬化症(MS)はこんな病気です
発病のメカニズム
通常、脳の情報は、神経細胞を介して、体全体へと伝えられています。
神経細胞の一部分が突起のように長く伸び、脳の情報を伝える“電線”のような働きをするのが軸索です。
また、軸索は「ミエリン」という“電線のカバー”のようなもので覆われていて、このミエリンがあるおかげで、脳の情報をスムーズに伝えることができるのです。
しかし、MSでは、ミエリンが何らかの原因で障害され、軸索がむき出しの状態になってしまいます。
このように、ミエリンが障害されることを「脱髄」といいます。
脱髄が起きた神経では、情報がスムーズに伝わらなくなるため、様々な症状が現れるようになります。
「リンパ球」が何らかのきっかけでミエリンを障害(脱髄)させることによって、多発性硬化症(MS)が起きます。
MSでミエリンが障害(脱髄)される原因として、「自己免疫」が関係していると考えられています。
自己免疫とは、通常、ウイルスや細菌などの外敵と戦って自分の体を守るために働いてくれる「リンパ球」などが、誤って自分の細胞を攻撃してしまうことです。
MSでは、「リンパ球」が何らかのきっかけでミエリンを障害(脱随)させるのですが、そのきっかけが何なのかは、未だ明らかになっていません。
進行が早かった
私の母は、多発性硬化症と診断されてから5年ほどで脳に症状が出始め、私が高校生の頃には、寝たきりとなってしまいました。
いろいろな多発性硬化症の患者さんの記事などを読んでいると、「寛解」と「再発」を繰り返し、寝たきりになるようでしたが、私の母の場合は「進行型」だったのか、思った以上に病気の進行が早かったです。歩けないから始まり、車いす、起き上がれない、寝たきりが2〜3年で過ぎていった気がします。
MSは大きく、患者さんの多くを占める「再発寛解型」と、日本では5%前後の「一次性進行型」に分けられます。特に「再発寛解型」は、時間の経過とともに、「二次性進行型」に移行する可能性があると考えられています。
引用:MSの経過
最後に
私は母が病気になった時に、一番心配したことがあります。
それが「病気が遺伝」するのかどうかでした。
父に聞きたくても、すごくひどいことを聞いているのではないかと思って、なかなか聞けないでいたのですが、それを察してくれたのかどうかは、わかりません。
急に父が「多発性硬化症は遺伝しないから」と伝えてきたのです。
心底ホッとしていた自分が恥ずかしくなりました。
しかし、頭のどこかで「もし私も難病になってしまったら?」と考えることがあります。
私は、病気を受け入れることが出来るのでしょうか?私にもわかりません。
しかし、母と同じように多発性硬化症と戦っている人たちは大勢いらっしゃいます。
世界では約230万人、日本では19,000人を超え、年々増加傾向にあります。
多発性硬化症(MS)患者さんの数は、世界で約230万人といわれており、欧米で比較的多く、アジアやアフリカでは比較的少ない傾向がみられます。特に、緯度が高くなるにつれて多くなるといわれています。
日本では、約19,000人のMS患者さん(視神経脊髄炎を含む)が報告されており、年々増加傾向にあります。
引用:MSの現状
たとえ病気になったとしても、決して一人ではないこと、一緒に戦ってくれる人たちがいることを願っています。
寄稿を終えて
はじめまして。ライターのsalad(サラダ)と申します。普段は、就労支援A型TANOSHIKAの中の「AKARI」というメディアでライターとして文章をお仕事にさせていただいております。
今回は、UniUni様のご厚意で、私と私家族の体験談を掲載させていただきました。
現在母は、十数年の闘病を終え、今は静かに私を見守ってくれています。
改めて、母のことを文章にするのはとても心苦しい部分がありましたが、こうやって同じ病気をもつ、ご家族の皆様にお話しすることができたことは、とてもうれしく思います。
今回のような機会を下さったUniUni様には、感謝しかありません。
ありがとうございました。
記事の感想等お待ちしております。